大森周辺・ノリ養殖撤退から40年
老舗守るプロの目利き
「産経新聞2003.1.20(月)
問屋、小売店現存 今も特産品に

 かつて風味の良い「浅草のり」の産地として日本一の規模と質を誇った大森周辺のノリ養殖が昭和三十八(一九六三)年に完全撤退して四十年がたった。元養殖業者は補償金を元手に新たな道を歩んだが、中には不況で再ぴ苦境に立つ人たちもいる。一方、地元の問屋はその”目利き”を生かして新たな産地を開拓。今でも多くのノリ関連の店が軒を連ねるなど、大森周辺では経済や文化、生活にノリが大きな影響を持ち続けている。(山本雅人)


ノリ長者

 実は記者も大森の生まれ。すでに養殖業者は姿を消していたが、子供のころからほぼ毎日のようにノリを食べて育った。地元の海でもう作っていないのに、なぜ問屋や小売店がいまでも大森に多く残っているのか、その理由までは知らなかった。

「現金収入のあるノリ採りの季節になると、みんな羽振りが良かった」。ノリ養殖全盛期をこう振り返るのは、大田区大森東に住む平林義正さん(76)だ。平林さんは毎日約二千枚のノリを生産していた。「当時のサラリーマンの月収分を一日か二日で稼げた」そうで、地元の盛り場は活況を呈した。地元の古老は「ノリをやっている人は手が荒れているので、抜げ目のないホステスは客の手を見てお金を持っている人かどうか選別していた」と話す。


アパート経営へ

 ただ、ノリのシーズンは冬で、冷たい海に出るため「ノリを干す最終段階の作業まで含め、つらい仕事ばかりだった」(平林さん)という。撤退にあたり、各生産者が受け取った補償金は、現在の額で一億円前後に相当するものだった。
 多くの人たちは補償金を使って、自ら所有する広大なノリ干し場にアパートを建てた。平林さんもその一人で、アパートの多い地域の特色はこの時期に形成された。「親子二代でノリをやっていた家では、息子の方は干し場の一部に工場を建てて経営した」と言う。
 木造のアパートは現在、建て替えの時期に入り、鉄筋のマンション群に変わりつつある。町工場に転換した人たちの話も聞こちと思ったが、「知っている人はこの不況でみんなやめてしまった」と平林さん。

生き残つた問屋
 養殖業者がいなくなったことで、地元の多くのノリ問屋も大森にある必然性はなくなった。だが現在でも約七十軒の問屋があり、ノリは大森の特産品のままだ。
 問屋が生き残った理由を、老舗問屋「田中正造商店」(同区大森東)会長の田中正造さん(
89)は「手触りだけで品質を見分けられるほどの鑑定力のレべルの高さ」だという。その証拠に現在、九州・有明海などの主産地で入札を行う際など、「一番いいノリに目を付けて取り合いになるのは大森周辺の業者同士」だそうだ。田中さんの店は関係者の間では「日本一の目利き」ともいわれている。
 加工・小売店でも大森周辺には老舗が残る。百三十年の歴史を持ち、日本で初めて焼きノリを売り出した「守半本店」
(同区大森北)もそのひとつ。現在でも焼きには絶対の自信を持っており、遠方から買いに来る客も多い。
 風味を生かした焼きができる理由について、四代目社長の守屋半慈郎さん
(38)は店の規模が大きくないこと」だと語る。大規模な業者では三千六百枚入りの一箱分を同じ温度で焼いてしまうが、同店では{百枚単位で温度を調整しながら焼いている」という。規模の小ざさを逆に武器にし、他にはまねのできない高品質を守り続けることで、デフレの世にあっても特産品として生き続けている。