「素人も歓迎」日暮里繊維問屋街
東京新聞」 2001年9月5日
原宿を越えるよ
「素人も歓迎」
 生地問屋がひしめく「布の街」として知られる東京都荒川区の日暮里繊維問屋街が、若者らの買い物客でにきわっている。問屋といえば「素人お断り」が常だったが、ここ十年ほどで、ほとんどが小売り主流に変ぼう。既製服の激安店も相次いで参入し、布と服の品ぞろえと激安ぶりが新たな客層を引きつけているのだ。勢いづいた地元からほ「原宿を越える街に」との声も。近い将来、現実になるか?
 「77円」「239円」「577円」。「えっ、冗談みたいな値段ね」。中年女性のグル|プが店頭で思わず声を上げた。
 JR日暮里駅前から伸びる繊維街。十軒以上点在している既製服激安店で、ワンピース、プラウス、スカートなどに付けられている値札の価格は女性たちを驚かせる。
 週末の一帯は特ににぎわう。最近は地元の人が「混雑を避けて裏通りを通る」と話すほど。ある日、リュック姿で踊りの衣装用の布を探していた大学生岡田昌子さん(20)は仙台市から来たという。「仙台に比べたら生地の種類は全然多いし、値段は十分の一。初めて来たんですが、服も安いし、もうびっくりです」。"二ツポリ”の知名度は既に全国区だ。
 激安店もさまざま。流行直前の素材を安く買い集め、「生地より安い」とまで言われるオリジナル製品を手掛けている「二ポカジ・スタイリスト」、独自の仕入れノウハウで「渋谷、原宿と同じものが半額で買える」という評判が口コミで広がった「ギャル」、ブランド品を格安で売る「アーバン・アウトレット」1。一般客に交じってまとめ買いする他地域の小売り店も多いo
 繊維街の本家「布」も負けてはいない。人気の生地問屋「トマト」一階では「紙より安い」がうたい文句の「百円コーナー」に客が群がっていた。生地がすべて一b百円だ。布問屋を回れば、生地だけでなくポタン、糸など、ソーイング(家庭裁縫)や手芸に必要な物が
 ずらり。染めむらができた反物や工場の余剰反などを独自のルートで安く仕入れ、裁断してから売るため、高級品も低価格を実現。ソーイング愛好者らが「聖地」「夢の街」と呼ぶのもうなずける。
 そんな魅カあふれる織維街と変ぼうした道程はー。
 大正初期、浅草周辺で古布などを扱っていた業者が、行政指導で日暮里に集団移転したのが始まりとされる。二十年ほど前の最盛期には九十店舗あった。不景気や裁縫人口の減少で、各地の生地問屋は減り続けたものの、日暮里だけは生き残ることができた。
 
東京日暮里繊維卸協同組合の木村輝六理事長(63)は「六十もの生地を売る専門店が並ぶのは全国でもここだけ。不景気で大きな問屋ほどんどんつぶれたが、ここは業者が小規模なので、小売りを増やしたりしてしのげたんです」と説明する。
 本格的な小売りの先駆けは十五年前に開店した「トマト」とされる。従来のお得意さんだった各地の「布屋さん」が姿を消すなか、どの店も小売り客の比率を高めていった。
 成功した小売りへの切り替え戦術。木村さんは「今では小売り客への売り上げが全体の半分を占めるのでは。各地の布屋がなくなった分、日暮里の希少価値が高まってきました」とも。
 一方、既製服の激安店が増えてきたのここ三、四年のこと。二年前に「二ポカジ・スタイリスト」を開店した宮本悦也さん(70)は「出店当時は人通りが「七分間に一人」だったのが、今ほ一分間に七人まで増えた」と手ごたえを語る。
 実は宮本さん、かつて骨とう店しかなかった原宿に流行の最先端を走る服飾店を次々と出店したことで知られる経営コンサルタント。その宮本さんが「日暮里は原宿を越える街になれる」と組合に檄(げき)を飛ぽすのだから説得カもある。
 「素材問屋の集積を生かし、カジュアルな商品をつくる小さな服飾メーカ―にどんどん事務所を貸せば、第二の「寛斎」、「コム・デ・ギャルソン」が日暮里に集まってくる。露店販売や路上のパフォ―マンス、仮設テント村などを展開すれば、日本を代表するファッションストリートになれるんです」
 宮本さんの熱い提言に当初、半信半疑だった地元商店主らの中にも「そんな気がしてきた」と賛同者が増えてきた。JRと京成が通る日暮里駅。来年度から駅前再開発が着工し、二00三年度にほ新交通日暮里・舎人線が開通する子定だ。宮本さんは「あと一年ぐらいすると、日菖里はがらりと変わりますよ」と、原宿を目指したさらなる変ぼうを予測している。
文・石井敬ノ写真・山根勉/紙面構成・羽田昌