大森と海苔ー養殖発祥の地
浅草ブランドもここから
産経新聞 平成13年1月20日(土)朝刊
 東京の昧といえぱ、すしに天ぷら、そばと数々あるが、その名わき役としての海苔(のり)の存在を忘れるわけにはいかない。東京湾の海苔は、江戸時代から「浅草海苔」の名で全国に知られていたが、かつて浅草海苔の最大の生産地が大田区の大森で、大森が「海苔養殖発祥の地」と言われていることはあまり知られていない。大森で採れた海苔がなぜ”浅草”なのか?ルーツは諸説あるが、同区立郷土博物館の藤塚悦司さんによれば「大森などで養殖された海苔が主に浅草寺境内で販売され、浅草海苔の名称が全国に広まったというのが最有カ説」とか。なかでも、江戸後期に長野県諏訪地方からの出稼ぎの人らを通して大森の海苔養殖技術が全國に広まったことは確かだという。
 東京五輪を目前に控えた昭和38年、東京湾の埋め立てに伴い、沿岸漁師らが漁業権を放棄。最盛期には約2000戸もの海苔生産者が暮らした大森でも海苔が採れなくなった。
 だが、大森では現在も約70軒もの海苔間屋が軒を連ね、114月のシーズンには各地の漁場から、全国の15%にあたる約15億枚の海苔が集まる。ここでは全国で唯一産地の漁連が関与せず問屋組合による入札だけで価格が決まる。大森以外では各地の漁運が、まず海苔の等級を付けたうえで、入札が行われる。
 田中正造・元理車長(87)によると、漁業権放棄を決めた直後から、「かつての大森のような海苔を求めて、みんなで全国を渡り歩いた。最初ほ地方に行っても入札に入れてもらえず、人づてに買い付けてもらってしのいだ。でも,そのうちに「大森の業者の目は確かだ」ってな信頼ができた」のだという。
 海苔は昭和40年以降、一貫して1枚平均10円前後で、ほとんど値段が変わらない。生産量は漁場の沖合への拡大で、紹和30年代に急激に伸ぴた後、ここ10年間は100枚前後で推移している。
 創業330年と伝えられる海苔間屋、松尾(0337620658)の松尾栄一さん(76)は「大森の海苔は、ふわつと柔らかく、手に取っただけでその良さが分かりました」と話す。同店では、小売りも行っており、江戸時代、将軍家に献上されたことからその名がついた「御膳海苔」の味を守り続けている。
 大森の海苔の味について、15歳のころかろ12年間にわたって海苔養殖に携わってきた田中久夫さん(64)は「朝に採ってきて干したばかりの海苔をその日のうちに七輪で焼いて、よく食べたもの。口の中でとろけるような触感が忘れられませんね」と懐かしそo
 この味を再現しようと、注文を受けてからその場で焼いた海苔を販売するのが川合海苔店ぱりぱりファクトリー(03-3298-4758)だ。海苔が焼きあがってくるのを見ていると、店舗中にプーンと香ばしい香りが立ち込めてくる。同店では他に動物などの形に切り取れる「型ぬきのり」を販売。小さな子供を持つ20-30代の主婦に人気があるという。
 一方、和洋菓子店の大黒屋(03-3761-6108)では、郷土の味を和菓子にも取り入れようと、2年前から「のり大福」を売り出している。「海苔の味にうるさい地元のお客さんにも評判をいただいて何よりです」と店主の池田栄さん(51)。ミスマッチのようで、海苔の香りはこしあんの甘さにも良く合う。一個120円。
 また、同区の各小学校では約10年前から、海苔すき体験教室が開かれ、郷土博物館でもこの21日、田中さんらかつての海苔漁師が指導するなか、「海苔すきの会」が催されるなど、大森では郷土の味を残す努力が続けられている。(桜井紀雄)