平和島

戦前の東京横浜連絡運河開削(20.26km、幅0.7km、深9m)に伴う二区埋め立て予定地だった。昭和14年4月に着工、同18年3月戦争にて中断。海苔漁場が運河敷きと埋め立て造成地とされたために、漁民は廃業を覚悟し、貴船神社に「漁業解散記念石灯篭」を建立、補償金を得た。戦後になると一時漁場は復活するが、一部は再び造成され「平和島」となる。
今の「平和の森公園」は、関連小運河を埋めて、昭和57年5月開園した。大田区の区立公園の中では最も広い公園です。10万4000平方メートルの敷地に、クスノキ、ウメ、サクラ、ケヤキなどの樹林や、アジサイツツジなどの植え込みが随所にある明るい公園です。園内には2つの大きな広場や、木立に囲まれた池のほかにフィールドアスレチック、テニスコート、弓道場等の施設があり多目的公園として利用されています。

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